2010年10月23日

立川の猫返し神社(阿豆佐味天神社)に行く

 土曜の昼前からでも行けるところを考えた。

 都内では、葛飾柴又の帝釈天なんかは行ったことがないな。でも猫関連のところがいいので、立川の「猫返し神社」こと阿豆佐味(あずさみ)天神社でもいくか。時間があれば一気に都心部を横断して帝釈天へ行こう。

 立川駅北口からバスで約20分、砂川4番で下車。進行方向右手に神社の杜が見えた。アプローチはたったの1分。大鳥居をくぐると雅楽がおごそかに流れ、手入れの行き届いた境内に気が引き締まる。安産祈願(水天宮)や七五三の祈祷に来る人が多いようだ。祈祷・祈願以外の立ち入りご遠慮ください、という趣旨の掲示を目にして構えてしまう。

阿豆佐味天神社本殿

 それではさっさと「猫はどこ?」。猫探しの術で鋭く周囲を見渡せば、本殿右手にたくさんの絵馬とともに猫の石像(ただいま猫というらしい!)があった。「ご遠慮下さい組」でない証明に祈祷受付で猫返しの絵馬を買う(800円)。その前に本殿でお賽銭と共に二礼二拍一礼もしておいたが。

「今、書いていきますか」
「(ギクッ)いやあとで・・」
 そしたら、袋に丁寧に入れて渡してくれた。何だそれだけのことか。てっきり、ここで書いていきなさい、ということかと思ったがにゃ。

「ただいま猫」の石像
奉納された猫返し祈願の絵馬

 1629(寛永6)年創建で、本殿は立川市最古の木造建築物であるという(市有形文化財指定)。本殿の隣りに境内社として蚕影(こかげ)神社があり、養蚕の盛んな時代に蚕の天敵ネズミを遠ざける猫の守り神だった。

 猫返し神社として有名になったきっかけは、ジャズピアニストの山下洋輔氏のエッセイだ。この神社に失踪した愛猫の祈願をして戻ってきた経緯が「芸術新潮」(1987年6月号)に掲載されて以来、全国に猫返し効能がとどろいた。それも二度あったというから、山下氏も本物と確信したようだ。境内に流れていたのは、氏が録音して奉納した越天楽だった。

 絵馬を買っても祈ってやるナマ猫はいないし、いろいろと考える。そうか、山をやってるのは猫みたいな連中ばかりだしな(←自由を愛するという意味で)。万一、仲間や知人が遭難して行方不明という場合、絵馬を神社に納めて祈るというのは、藁をもつかむ状況下ではありか。

 例の猫返し歌は、「いなばの山」を「越後の山」とか「会津の山」にアレンジすればいいのだ。

 立ち別れ越後の山の峰におふるまつとしきかば今帰りこむ
(元歌は百人一首 中納言行平 たちわかれいなばの山の峰におふるまつとしきかばいまかえりこむ)


 祈りが通じて無事生還したら、ネットで流す。すると、「遭難者返し神社」(←語呂がよくない)と評判になる。なかなか見つからなかった遺体がやっと出てきたら「オロク返し神社」か。これはシャレにならない。だんだんと不謹慎になってきたが、まあ、伝説・言い伝えなどというのはこうして形成されていくのであるな。

 
 「失せ猫は御嶽山へ修行に行くらしい」

 いろいろ手を尽くして調べても、いまだ猫と御嶽山の接点を見つけることはできない。しかし、有名作家のエッセイで単なる伝聞として書かれたことが、まことしやかに語られるようになった一例である。とくに猫の不思議話は共同幻想化しやすいのだと思う。