2010年12月26日

天寧寺の身代わり猫地蔵(千葉県安房郡鋸南町)

 瑞雲山天寧寺(安房郡鋸南町佐久間)は内房線安房勝山駅から東方1・5キロにある臨済宗建長寺派の古刹で、安房の国観音札所七番霊場でもある。動物慰霊墓苑が付設されペット供養にも力を注いでいる。途中、佐久間川沿いに世界の猫グッズ博物館がある。

 動物慰霊墓苑内に鎮座する「身代わり猫地蔵」という風変わりな元招き猫石像は、2010年3月に大阪から遷座してきた。経緯は下記由来碑文にあるとおりで、元々は大阪のお茶屋に置かれていた。戦後、お茶屋廃業の際に猫好きな女性が引き取ったが、代も替わり家の立ち退きのため、落ち着き先として天寧寺が名乗りを上げたということである。世界の猫グッズ博物館館長らが世話人になったようだ。「身代わり」という名称は、幾度か車に当てられて左手を欠くなど、身を以て家人を守ったという逸話によるものだろうか。


 身代わり猫地蔵由来之記
大阪ミナミのお茶屋にて守神だった招猫。戦後、お茶屋の廃業の曲折を経て猫好きな女性に引取られ、自宅前に祀られた。
そこで、招猫は移りゆく大阪を見守りつつ風雨に曝され、、石の猫地蔵に変わり果て、更に、バイクや車に当てられ招猫の左手を欠いてまで家の者に怪我人を出さぬようにしたと云う。
だが、代も替わり後を頼まれた嫁も老いて立退を求められ、猫地蔵様は、またもや居場所を失ってしまった。
縁あって、大阪市都島区北通二ー九ー十三浜口様宅から、当山天寧寺へと遷座された身代わり猫地蔵様、安房の大地が終の住処とならんことを記念する。
平成二十二年三月吉日


天寧寺への途中にある世界の猫グッズ博物館
天寧寺の入り口
天寧寺仁王門と本堂(左奥)
動物慰霊墓苑
身代わり猫地蔵と由来之碑
左手は欠けて無くなっている
だいぶ痛みが激しいが愛嬌のある顔
身代わり猫地蔵由来之記
招福招幸観世音菩薩(ペット観音)

2010年12月19日

殿ヶ谷戸庭園〜江戸東京たてもの園〜小江戸川越

 きょうも文化財ウオーク日和。ちょっとアプローチを変えて武蔵野線経由で国分寺へ。駅南口から都立殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園は目と鼻の先である。この庭園は満鉄副総裁・江口氏の別邸として設けられ、その後三菱財閥の岩崎家別邸として利用されたという。国分寺崖線をうまく利用した回遊式庭園で、野川の水源の一部となる豊富な湧き水がある。武蔵野に自生していた野草も多く、花の季節には楽しめるところだろう。この季節は来園者も少なく、静かな散策ができる。

武蔵野台地の地形を生かした庭園

 次は一つ隣の武蔵小金井駅からバスで小金井公園へ。江戸東京博物館の分園である江戸東京たてもの園の招待券は15年間も持ち歩いていたが、やっと使う日が来た。あまり期待していなかったが、ここだけで1日すごせる内容がある。建物の中もじっくり観覧できる。体が冷えたので、お昼は屋台で豚汁と肉まんを注文したが、ふと見ると招き猫が。いっぱいくっつている子猫パワーが効きそうだ。

2階が2・26事件の舞台となった高橋是清邸
居酒屋「鍵屋」と銭湯「子宝湯」
招かれて豚汁と肉饅をいただく

 もうひと歩きできるが都心へ行くのもどうかと思い、帰りも同じ沿線で便利な川越に行くことにする。歩いて西武線花小金井駅まで15分くらい。タイミング良く急行が来たので終点の本川越まで一眠りで着いてしまった。

 川越ではまず喜多院から。五百羅漢は拝観料が必要なのでパス。少林寺の延々と連なる五百羅漢に比べれば、こちらはこじんまりしている。参道脇の蕎麦屋に七福神と一緒の招き猫を見つける。でもナマ猫にきょうは会っていないので、そろそろキョロキョロしながら時の鐘方面へ。もう16時過ぎなのに観光客が多い。蔵造りの通りから猫がいそうな菓子屋横丁へ入っていく。しかし、こちらの方が人が多い。食べ物ばかりが目につき、鯛焼きを買ってほおばる。

七福神を従えて(喜多院参道脇の蕎麦屋)
夕暮れ迫る時の鐘

 ついにナマ猫を見ることもなく、夕暮れの中を東上線川越駅まで歩くのかと思うと足が重く感じる。大正浪漫通りのレトロなシマノコーヒー大正館で遅めの珈琲タイム。一息いれたあとは、そのままクレアモールを真っ直ぐ行けば駅だ。丸広百貨店をすぎてもうすぐ駅というところで、焼鳥屋の棚にのっかっているトラちゃん発見。招きシーサーと一緒だ。撮影にかかると、通りすがりの女子ふたりが「わあ、おっきいー、かわいーっ」と猫をいじり始めた。おい、俺の被写体だぞ! たまらず猫は棚から地面へおりてうずくまる。女子のなでまくり攻撃はやみそうもなく、まともな絵はとれず。やれやれ。

招きシーサーとナマ猫同居の図

2010年12月18日

夏目漱石旧居跡「猫の家」(文京区向丘)ほか

 先週の大名庭園めぐりにつづき、きょうは手始めに小石川後楽園から旧岩崎邸さらに根津神社、そして最後に夏目漱石旧居跡(猫の家)と盛り沢山に歩いた。小石川後楽園(国の特別史跡、特別名勝)は水戸黄門ゆかりの回遊式築山泉水庭。素晴らしい庭園なのだが、この日は関ジャニ∞の東京ドームコンサートが行われていて、大音量が庭園まで響いてくるのは興ざめだった。長居せずに旧岩崎邸庭園へ向かう。


文京区役所と東京ドームが見える
音羽の滝付近から大堰川(小石川後楽園)


 春日通りから湯島天神を右に見て、天神下の交差点手前から左に入ると旧岩崎邸の正門に至る。旧岩崎邸は、ジョサイア・コンドルの設計により明治29年に建てられた日本の建築史に残る洋館である。戦後はGHQに接収されたりしたが修復されて保存状態は良い。大河ドラマ「龍馬伝」の人気でたくさんの人が訪れている。岩崎家本邸内に入るときに福島の団体客が大型バスで乗り付けてきていて、落ち着いて観賞できる雰囲気ではなかった。庭を一巡りしたあと、日も陰ってきたので次の目的地へ急ぐ。


旧岩崎家本邸
庭園側から見た旧岩崎邸


 根津神社へは、不忍通りを不忍池を右に見て千駄木方面へ歩いていく。途中の横山大観記念館をのぞきたくなったが、時間も押しているので断念。黙々と歩いたので行きすぎ日本医大病院の方から回り込んで根津神社へ。境内にある駒込稲荷神社の稲荷はみな猫のような顔になっていた。本日最初に見つけた猫は用心深いキジトラで、振り向きつつ植え込みの中に消えた。このあとは境内を一回りしても猫には会えず。


これじゃ猫稲荷だ(駒込稲荷)
こちらは人面稲荷?(駒込稲荷)

根津神社社殿


 最後に今日一番の目的地である「夏目漱石旧居跡」を探すことにする。場所はうろ覚えなので郁文館高校まで行ってしまい少しウロウロしてしまう。日本医大病院と和菓子屋一炉庵の間の道を入るとあっさり漱石住居跡碑が見つかった。碑だけだと物足りないが、塀の上をリアルなオブジェの猫が。これがあるから猫好きは来てみようという気になるのだ。現在は日本医大同窓会館の敷地となっている。ちなみに当時の住居表示は千駄木町となっているが、現在は文京区向丘である。


 夏目漱石旧居跡の碑文は次のとおり。
夏目漱石は明治卅六年一月英国から帰り三月三日ここ千駄木町五十七番地に居を構へた。
前年二箇年は一高と東大の授業に没頭したが、卅八年一月「我が輩は猫である」「倫敦塔」等を発表して忽ち天下の注目を浴び、更に「猫」の續稿と竝行、卅九年初から「坊っちゃん」「草枕」「野分」等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした歳末廾七日西片町に移り翌四十年四月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。千駄木町は漱石文發祥の地である。
森鴎外も前に(自明治廾三年十月至同廾五年一月)その家に住んでゐた。家は近年保存のため移築され、現在犬山市明治村にある。
昭和四十六年三月三日
夏目漱石旧居跡「通称猫の家」
オブジェ猫がいるから来たんだよ 
できれば烏猫にしてほしかった

2010年12月12日

浜離宮庭園〜旧芝離宮庭園〜六義園

 まだ、足の故障が癒えず山は無理だが、この秋以降は猫史跡を中心に文化財ウオークに精出している。猫史跡でなくとも猫に出会えれば上々だ。しかし、昨日(11日)の明治神宮〜新宿御苑は猫にも会えずに不発だった。今日は、かつての勤務地だった港区浜松町に近い浜離宮恩賜庭園(国の特別名称及び特別史跡)や旧芝離宮恩賜庭園(国の名勝)に行ってみよう。浜離宮は徳川将軍家の庭園で東京湾に面した都心の広大なオアシス。旧芝離宮庭園は小石川後楽園とともに江戸最古の大名庭園で、典型的な「回遊式泉水庭園」だ。浜離宮の方が規模が大きく見所も多い。

浜離宮庭園でのんびり暮らす猫

 浜離宮庭園へは新橋から歩いてもいいが、久しぶりにゆりかもめに乗ってみる。ひとつ目のゆりかもめ汐留駅で下車。10分歩いて大手門から入園する。取り囲む汐留のビル群に圧倒される。三百年松〜藤棚〜花木園〜ボタン園〜旧稲生神社と巡り築地川側の植え込みでやっと猫に出あう。このあたりは猫の住処となっているようだ。花木園では「猫にエサを与えないでください。園内にいる猫は園内に無断で置き去られた猫です。庭園ではこれ以上猫を増やさないために、ボランティア団体が猫に不妊手術を施すことやエサやりなどを含めて総合的に管理しています。一般のお客様は猫にエサを与えることはご遠慮ください」と掲示されている。どおりで園内で見かける猫は毛並みもいいし、こそこそしていないわけだ。


大手門から入ると汐留のビル群が覆い被さる
園内の猫は管理されている
日だまりでみつけた上品な三毛 
上空を飛行船が飛ぶ

 水上バスの発着場から東京湾に沿って南下。将軍のお上がり場は、将軍が東京湾から船で来た場合の上陸場所。樋の口山付近で行き交う水上バス等眺めながらのんびり昼飯とする。海岸から西へ向きを変え富士見山に登ると潮入りの池が一望できる。中島橋を渡って中島の御茶屋を通り潮入りの池を横断。売店前の芝生で大きな猫がチーズのかけらを食べている。客が与えたのだろう。人慣れしているのかカメラを向けても一向に動じない。御亭山に登ってまた池を違う角度から見下ろす。中の橋を渡って再び富士見山の裾から池を回り込んでいく。吉宗ゆかりのトゥカエデを過ぎ馬場跡、鴨塚を経て中の御門から庭園外へ。少し足が痛み出してきたが、そのまま芝離宮へ向けて歩いていく。


将軍お上がり場
富士見山からの眺望 
潮入りの池
売店近くで猫発見
チーズのかけらを食べている
カメラに見向きもしてくれない
食べたあとは毛づくろい
お気に入りの場所で寝てしまった 

 旧芝離宮庭園は池を中心に30分でゆっくり一周できる。浜離宮庭園を見てきたあとではさっさと回ってしまおうという気分なる。旧芝離宮庭園の5倍以上広さがある浜離宮庭園はそれだけ内容のある庭園だった。ついでだから懐かしい浜松町二丁目界隈をぶらつく。だいぶ町の様子が変わってしまっていた。讃岐小白稲荷神社ではキツネ目の猫を見る。小さい神社ながら寄進者に伴淳三郎、鶴田浩二のほか水原茂の名もあった。もう一がんばりして六義園(文京区本駒込、国の特別名勝)に行く。川越藩主・柳沢吉保が築造し、明治期には岩崎弥太郎の別邸にもなった回遊式築山泉水の大名庭園である。猫はいなかったが、園内には高木が6千本以上あり鬱蒼とした雰囲気を味わえる。閉園時間が迫りゆっくりできなかったので、季節を変えてまた来てみたい。

旧芝離宮庭園内から世界貿易センタービル
旧芝離宮は大名庭園
浜松町駅前の讃岐小白稲荷神社で 
お稲荷さんの猫はなぜキツネ目なのか
小さな神社だが大物が寄進している
六義園内の鬱蒼とした森
六義園で一番高い標高35mの藤代峠から

2010年12月11日

明治神宮〜新宿御苑

 明治神宮御苑にある清正井(きよまさのいど)はパワースポットとしての人気が高い。見るためには御苑北門で当日発行の整理券が必要だ。受け取ったにしてもすぐに入れるわけではなく、それだけを目的に来るつもりでなくてはならない。ということで今日のところ清正井はあっさりとパス。明治神宮の御社殿に拝殿したあと、北参道〜宝物殿〜西参道経由で原宿駅に戻る。宝物殿前の広大な芝生は予想外の穴場だ。ピクニック気分で弁当を広げたり、寝転んで読書をしたりするのに最適な場所。残念ながら神猫?はいなかった。神宮境内での野良猫など御法度なのだろう。

 それではとノラ貴族猫がいるという新宿御苑に移動する。丸ノ内線新宿御苑前で降り大木戸門から入苑。玉藻池〜フランス式整形庭園〜下の池〜モミジ山〜ツツジ山〜日本庭園と回り、少々疲れたのでレストランゆりのきでコーヒータイム。どうしたことか猫の姿が全くない。寒い日だったので茂みでじっとしているのだろうか。レストラン付近には絶対いると思ったのだが。上の池からぐるっと北側を回って新宿門から出苑した。猫歩きウオークとしては成果のない一日であった。

宝物殿前の芝生
西参道への途中で
フランス庭園のプラタナス並木(新宿御苑)
上の池
同上